ぶらこうじ余話 NO.M-004 名称: 大阪の渡船場
水の都と呼ばれる大阪には、八百八橋と言われるようにたくさんの架橋が架けられたが、大型船を河川内陸部へ入れるには橋桁が高すぎる、建設費が高すぎるなどの、物理的・経済的な理由から郊外中心に多くの渡船が運航されていた。
安治川を西九条から九条へ渡る所には、「源兵衛渡船」という名の渡船があったが、昭和19年に河川の下をくぐるトンネル(「安治川隧道」)が完成すると渡船は廃止され、今では交差点に「源兵衛渡」の名前を残すのみとなっている。写真は「安治川隧道」とEVを擁する建物、川底の通路は人、自転車が頻繁に通行している。
大阪の渡船は、時代とともに減少してゆき、現在運航しているのは8ケ所のみになっている。「甚兵衛渡船」は、現存する渡船のひとつで、尻無川河口部に位置する。江戸時代、この場所で茶店を営んでいた甚兵衛さんによって設けられたので、その名前がついたそうだ。大阪の渡船の運営形態は、私設民営から、市営事業、請負制と変遷を経て、現在は何と大阪市の直営である。渡船は道路の一部という考え方なので、乗船料金は無料である。「安治川隧道」や現役渡船場は、今では、Deep大阪の隠れた人気だとか。写真は、甚兵衛渡船場。渡船場から上流側を望むと尻無川水門と遠方にドーム球場が見える。(室井2016.6)