OSAKAぶらこうじ見聞記  ◆蒲生地区

ぶらこうじカルテ  No. R-023-1  名称:蒲生地区

場所:大阪市城東区蒲生4丁目他  

ぶらこうじ指数:88 =古民家再生プロジェクト地区=

印象:印象:今回の踏査は大阪市城東区蒲生地区である。蒲生4丁目地区は、明治時代以降に建てられた住宅等が多く残っていた地域であるが、最近、木賃長屋や戸建て貸家を改修し街を活性化しようという動きが進んでおり注目されている。「がもよんにぎわいプロジェクト(愛称がもよん)」のきっかけは、古い米蔵をイタリアレストランにリノベーションしたことが成功したことだという。以来、これに刺激されて多くの飲食店舗、宿泊施設、住宅等が生まれ変わり街の再生が進行中だ。面白いのは、耐震上改修できない建物は、撤去し跡地を「がもよんファーム(農園)」として活用していることだ。寝屋川に近いところに「若宮八幡大神宮」がある。仁徳天皇の遺徳を偲び村人が創建したと伝えられている歴史ある神社であり、大坂の陣では、徳川方の佐竹慶宣がここに陣を張り戦勝祈願したといわれている。この日は、秋祭りが近いせいか町のあちこちに若宮八幡大神宮の赤い幟が立っており、昔ながらの佇まいを残していた。 

「がもよん」から1Kmほど西、JR京橋駅の少し東にある「蒲生墓地」へ行く。蒲生墓地は、大坂の陣で戦火にまみれた大坂の町を復興しようと松平忠明が都市改造を行った際、その一環として、大坂各地の墓地を現在の環状線周辺七ケ所に集約したが、蒲生墓地は、その「大坂七墓」の一つである。七墓の形跡をとどめている数少ない墓地であり、石仏群が大阪市指定文化財である歴史的にも価値のある墓地である。周りに多くの店舗等が建ち、現在では小さな敷地となっているが、蒲生墓地運営委員会の方々の尽力ですこしずつ整備されつつあるようだ。(2024.10 室井

(写真左上から順に)米蔵を改修したレストラン、宿泊施設、長屋を賃貸住宅にリノベーション、がもよんファーム、若宮八幡大神宮 

ぶらこうじカルテ  No. R-23-2  名称:蒲生地区

場所:大阪市城東区蒲生4丁目他  

ぶらこうじ指数:88 =古民家再生プロジェクト地区=

印象:空き家対策として注目を集めている蒲生4丁目地区通称「がもよん」は、まち再生プロデューサーの和田欣也氏がサブリースで4050軒の飲食店などに改修している。

明治期の古民家が残っている地区なので、ファーストフードやラーメン店などでは無くて、ちょっと洒落た個性的なお店で賑わいづくりを進めるのが狙いとのことである。

蒲生地区はまだ古民家が多く残って、庶民的な長屋もあればお屋敷もあり、蒲生4丁目周辺でもまだまだ地区再生プロジェクトが拡がりそうなポテンシャルを持っている。 

また、地区の西側近くに歴史資産「大坂七墓」の一つである蒲生墓地があり、その中に大阪市指定文化財の六地蔵(写真右下)などの石仏群もある。(2024.10 清水h)

ぶらこうじカルテ  No. R-23-3  名称:蒲生地区 

場所:大阪市城東区蒲生4丁目他   

ぶらこうじ指数:88 =古民家再生プロジェクト地区= 

印象:今回は蒲生4丁目の町おこしをめぐる街ぶらりである。地下鉄長堀鶴見緑地線に蒲生4丁目駅があるが、我々はJR京橋から蒲生墓地経由で蒲生4丁目を徒歩で巡ることにした。近くに寝屋川が流れているようで、そのいためかこの路は堤のようになっている。両側は昔湿地帯だった様で蒲穂が群生していたのであろう、その地名は全国あちこちにあるのと同じ由来である。最初に訪れた若宮八幡大神宮境内には大阪冬の陣の陣屋跡との記述があり、近くに小さな行者堂と構の蔵があり、地域伝統の伝承を感じる。この地区には大きなビルディングはほとんどなく、一戸建ての家が多い。古い長屋の家並みも残っており、それがイノベーションで改装され評判になっている。更に古い屋敷もあり、洒落た雰囲気の食事処となっており、その中の一部屋で静かでゆったりとした昼食時間を楽しんだ。(2024.10 三塩)