ぶらこうじカルテ No. R-013-1 名称:コリアタウン(生野界隈)
場所:大阪市生野区桃谷界隈 ぶらこうじ指数:78
=コリアタウンとして生まれ変わった御幸通商店街=
印象:伝統的な商店街の多くが衰退の道を歩み「シャッター街」と呼ばれる商店街も少なくない中で、御幸通商店街はイメージ転換による活性化の成功例として昨今は多くの来街客を集めている。桃谷駅から1㎞と遠く、大変不便な立地ではあるものの、韓国料理や韓国の食材を扱う商店が大半であったため、思い切って韓国調の派手なデザインのストリートに模様替えし、名前も「コリアタウン」としたため、近隣客ばかりでなく、観光客が急増し今日のような賑わいとなった。(清水h.2018.3)
コリアタウンの延長は約500メートルとかなり長いが端まで活気がありシャッター店などはほとんど見かけない。平日でも気候の良い時期は人通りで混雑している。
本格的な韓国料理のレストランも幾つかあるが、その中で横丁を入った「福一」はリーズナブルで美味しいと評判の店。レストラン以外の店も多くが店先のカウンターでテイクアウトを展開している。椅子は無いので少量の立ち食いをしている人が多い。
ぶらこうじカルテ No. R-013-2 名称:コリアタウン(生野界隈)
場所:大阪市生野区桃谷界隈 ぶらこうじ指数:78
=コリアタウンとして生まれ変わった御幸通商店街=
今日は大阪市生野区のコリアタウン訪問である。鶴橋の焼肉やコスメ街には何度か行ったことはあるが、生野区コリアタウンは初めての探訪である。環状線桃谷駅から東へと向かい御幸森天神宮に至る。比較的小さな天神さんではあるが由緒があり、境内には仁徳天皇お休み処の大きな石等も鎮座されている。
境内の北へ向かう階段には、春休みで遊びに来たらしいローティーンの女の子のグループが座り込んで何やら食べている。そこはもうコリアタウンの始まりであり、東へと1キロほど十代~二十代の女の子の観光客で一杯であり、まるで東京原宿の竹下通りなみである。原宿ファッション街とは異なり、ここは韓国料理の立ち食いとなっている
韓国焼肉、漬け物屋さんの人気の店には行列ができており、SNS情報が飛び交っているようだ。このコリアタウンは直線の一本道で、旧大和川(現長瀬川)に至るみゆき橋で終点となっている。
このコリアタウンからさらに東へと外れていってみるが、韓国の人が多く居住している地区らしく、朝鮮学校がありまた住宅の表札にも金さん、文さん等の名前が連なっている。
さらに環状線の寺田町方面に向かってぶらこうじを続けると、温泉との看板をかかげる昔懐かしいお風呂やさんが散見される。建物が大阪市登録有形文化財に指定されている源ケ橋温泉でひと風呂を浴びて、今日のぶらこうじは終点となる。(三塩.2018.3)
ぶらこうじカルテ No. R-013-3 名称:生野界隈・つるのはし史跡
場所:大阪市生野区桃谷~寺田町
印象:今回のスタートはJR桃谷駅。ここから東北の方角にあるコリアタウンをめざして出発。コリアタウンは疎開道路から平野川水路にかけて東西に延びる商店街で、猪飼野と呼ばれた地域にある。その商店街は平日にもかかわらず、店先での韓国グルメを求める若い人で長い列ができ、ごった返した狭いストリートは熱気であふれている。この地区は、古くは百済、高句麗などからの渡来人が住み、猪を飼育し朝廷に献上していた土地であったことが地名の由来になっているらしい。
この一角、桃谷駅近くに「つるのはし」の史跡が残されている。この橋は日本最古の橋といわれ、仁徳天皇時代に大阪と大和を結ぶ官道に架橋されたそうである。ところで橋のつく地名では、天満橋や天神橋など「〇〇ばし」というように「はし」の「は」が濁るところが一般的であるが、「鶴橋」のように「は」が濁らない地名は珍しい。その理由がもともと「つるのはし」の間に「の」が入っているためではないかというMさんのサジェッションに合点がいった。
コリアタウンをあとにして、南方面に進み、生野本通り商店街沿いにある源ケ橋温泉をめざす。ここはレトロ風たたずまいの公衆浴場、大阪市内でも有数のお風呂屋さんらしい。その広い湯船につかり、ひと汗流し本日のぶらこうじの疲れを癒した。(吉田.2018.3)
ぶらこうじカルテ No. R-013-4 名称: 生野・源ケ橋温泉
今回の「ぶらこうじ踏査」は生野界隈である。このあたりは仁徳天皇(5世紀)のころは河内湖の入り江で、河口付近は港として大いに栄えた。
現在では、湖の名残はほとんどないが、河内湖に流れ込む平野川に架けられた橋に因む名前が多く残る。
踏査はまずコリアタウンから始めた。不思議なことに20代の女性が8~9割と圧倒的に多い。それも女性だけのグループである。商店街を後にして、南へ約200メートル歩くと「鶴橋」の地名の由来となった「つるのはし跡」に着く。日本最古の橋である「猪甘津(いかいづ)の橋」のあった場所で、鶴が多く群れていたことからこの名前がついた。
さらに20分ほど南下し、寺田町駅の近くの「源ケ橋(げんがはし)温泉」に行く。渡し守の「源」という悪党が、我が子の供養のために架けた橋から、「源ケ橋」の名前が付いたそうだ。昭和12年に建設された建物は、銭湯では国内初の国の登録有形文化財に登録されたというすごい温泉である。洋風瓦、屋根の自由の女神像、中庭を望む脱衣場、古風なインテリアなど時間と風情を感じる温泉である。近所に住んでいるらしいバギーカーを押した外人夫婦が入った後から、温泉の入口を潜る。入湯料金440円、貸タオル代20円を払って中に入る。古風だか清潔で心地よい温泉であった。(室井.2018.3)