場所:大阪府堺市
ぶらこうじ指数:46 =ものの始まりなんでも堺=
印象:物の始まりなんでも堺”と謳われている堺、南蛮交易で栄えた商業自由都市・環濠自治都市の面影を残す街を今回訪ねた。
まず、交易の拠点であった旧堺港に立ち寄る。今はマリーナに変貌し数多くの大型クルーザーが停泊しているが、そのそばに立つ港から西方を見つめる呂宋助左衛門の像を見ると、往時同様に多くの交易船が行き交いしていたものと容易に想像できる。
続いて、平成27年に整備された「さかい利晶の杜」を訪ねる。この施設は、堺とゆかりの深い千利休と与謝野晶子にまつわる資料を展示していて、二人の足跡など興味深く知ることができる。
次に訪ねたのが利休とも縁の深い巨刹南宗寺。ボランティアガイドの案内で、わびさびを追求した利休好みの茶室・実相庵や八方にらみの龍の天井画のある仏殿など、詳しく説明を聞きながら、寺の由緒などを教えてもらう。
仏殿天井に描かれた龍は狩野派の絵師によるもので、部屋のどこに行っても龍の鋭い眼光に射止められる。その不思議ですばらしい描画技法にまいりましたであり、何百年も以前にそれを成し遂げた技術にただただ敬服のみである。今年は辰年、この一年災いのないようじっと睨みをきかせ続けてもらいたいものである。
締めは、茶の湯に欠かせない和菓子、堺銘菓の一つ”けし餅”を土産に携え、大阪唯一のチンチン電車の車窓からの街並みをバックに、堺の街を後にした。(吉田 2024.3)
(上)助左衛門さんとポーズ
(左)さかい利晶の杜 記念スタンプ
(右)南宗寺仏堂とにらみ龍(リーフレット)
場所:大阪府堺市
ぶらこうじ指数:46 =かっての掘割と街並みが残る環濠都市=
印象:今回のぶらこうじ踏査の対象である堺は「環濠都市」である。堺旧港から利晶の杜に向かう途中に運河を渡ったが、それが西側の濠にあたる土居川で南宗寺まで伸びている。この土居川や、現在では阪神高速堺線となった東側の濠に囲まれた東西1キロ、南北3キロが「環濠都市堺」の範囲である。
「さかい利晶の杜」の1階フロアの床に文久3年(江戸時代末期)の大きな陶板地図があり、千利休屋敷跡、南宗寺、鉄砲鍛冶屋敷、堺伝匠館などの見所を靴でたどりながら探せるようになっている。ただし、陶板の地図は江戸時代の堺の町割りであり、呂宋助左衛門、三好長慶、千利休らが活躍した時代の自由都市堺は、これより一回り狭い範囲だというが、詳しい資料はないそうだ。
最近、地下1メートルから4メートルで遺跡が発掘されているらしい。同じフロア1階に「地層剥ぎ取り標本」が展示されている。大阪の夏の陣の戦火痕跡などが焼土層として残っており、その下に眠る自治都市として繁栄した堺の街が偲ばれる。発掘が進み黄金の日の姿が再現される日が待たれる。(室井 2024.3)
(左)さかい利晶の杜、(右)文久3年;1863、堺大絵図(堺観光コンベンション協会発行のガイドブックより)
場所:大阪府堺市
ぶらこうじ指数:46 =見どころ豊富な利休ゆかりの南宗寺=
印象:白い灯台がシンボルの旧堺港から環濠都市の掘割に沿って環濠の南の端の南宗寺へと歩く。南宗寺は茶の湯や千利休にも縁の深い禅寺で、広大な境内を有している。方丈の奥には利休やその師匠が修行をした茶室・実相庵があり、その庭には水琴窟や椿の井戸、利休遺愛の手水鉢、師匠紹鷗遺愛の六地蔵石灯篭などがあって、「茶禅一味」の精神を満喫できる。水琴窟の澄んだ音にも「わび茶」と「禅」の精神がこもっているようだ。
古田織部の作とされる方丈前の枯山水庭園は国指定の名勝で禅の精神を表現した一点の曇りもない時空間を体感できる。
甘露門と唐門、仏殿は国指定の重要文化財であるが、仏殿には狩野派の絵師による「八方睨み龍」の天井画がある。見上げると、今にも飛び出しそうな勢いのある豪快な筆使いに圧倒される。甘露門は三間一戸楼門、入母屋造、正保四年(1647年)の建立で禅宗様と和様の折衷様式。
南宗寺は弘治3年(1557)、最初の天下人とも称される三好長慶が父・元長の菩提を弔うために開山したものだが、境内には千利休の一門の供養塔も建てられている。(清水h 2024.3)
(上)利休好みの茶室・実相庵
(左)国指定名勝 方丈・枯山水の庭園、
(右)国指定重要文化財・南宗寺甘露門(山門)
場所:大阪府堺市
ぶらこうじ指数:46 =歴史資産が豊富に残る環濠都市=
印象:今日は楽しみにしていた堺ぶらこうじである。風が少し冷たいが、天気には恵まれた。最初に旧堺港を訪れたが、大きなクルーザー船が係留された現代的な景観となっていた。しかしながら、港の入口にある龍女神像および旧堺灯台も一目で見渡せるこじんまりとした港の雰囲気は、昔の堺港を偲ばせる。岸壁の大きな銅像は呂宋助左衛門で、子供の頃漫画で読んだことを思い出した。遥かフィリピン等東南アジアまで戦国時代に商いに出掛け、その頃の世界を相手に活躍した日本の堺の商人の代表であろう。
その後、利晶の杜ー利休の生誕地ー南宗寺と廻った。南宗寺は子供の頃に利休が学んだところだそうである。そこには実相庵という茶室があり、その周りにワビ「思い通りにならない」とサビ「命のおとろえていくさま」の世界が盛り込まれいるとのこと。茶室の入口の刀架、地蔵が掘り込まれた燈篭、円柱形の手水鉢、小さな澄んだ音を響かせる水琴窟等々見事な配置で、見る価値があった。
堺は広くみどころがたくさんあるとおもう。南宗寺で拝観時間切れとなり、見たかった鉄砲鍛冶町は訪れることはできず、とても1日では周りきれない。次回はサイクリングを利用して、もう少し効率的に回ろうと思う。(三塩 2024.3)
(順に)旧堺港の龍女神像、利晶の杜、南宗寺実相庵