ぶらこうじカルテ No. R-011-1 名称: 千林界隈
(写真)地下鉄千林大宮駅を出ると明るく賑やかな千林商店街が京阪千林駅へと続く
場所:大阪市旭区千林 ぶらこうじ指数:74
=京街道と野崎街道の結節点にあたる元宿場町=
印象:淀川左岸の街、千林は歴史的には京街道と野崎街道の結節点であり交通の要所として発展して来た。現在では淀川沿いの優れた環境を生かして人口密度の高い住宅地を形成し、また、周辺に大阪工大や常翔学園などのある文教地区ともなっている。野崎街道の筋は地下鉄の千林大宮駅と京阪電車の千林駅を繋ぐ「千林商店街」のアーケードとなっており、歴史的な商店街としては大阪市内でも有数の賑わいを見せている。
商店街から路地に入ると戦前からの曲がりくねった迷路状の道が残っており、地区の地蔵尊などからも古くから栄えた街であることが分かる。
数百年の歴史を経た地蔵尊
一方、北側の淀川沿い菅原城北大橋のたもとには広大な城北公園があり、さらに城北ワンドやスポーツグラウンド、サイクリングコース、ジョギングコースなどのそろった、オープンスペースの魅力的な地区である。城北公園の中には城北菖蒲園もあり、花の時期には多くの市民が訪れる。
(清水h.2017.6)
淀川左岸 城北ワンド 城北菖蒲園 菅原城北大橋
ぶらこうじカルテ No. R-011-2 名称: 千林界隈
場所:大阪市旭区千林
印象:今回のぶらこうじ踏査の日は、梅雨時にも拘わらず文字どおりの五月晴れで、城北公園の菖蒲は雨が恋しそうな表情をしていた。城北公園から淀川堤防沿いを北へ向かい、今市から南下して目的の「千林商店街」に入る。千林商店街は、天神橋筋商店街、駒川商店街と共に大阪を代表する商店街であるだけあって大変活気がある。ダイエー発祥の場所を探したが、同店は解体撤去されてすぐには見つからない。商店街の中央やや西に、南北に走る「京街道」と東西に走る「野崎街道」との分岐ポイントがあるが、千林商店街の道筋は野崎街道と呼ばれ、昔から交通の要所として賑わってきた。
千林駅周辺は、京阪電鉄の開通とともに都市化され、昔の農家や居宅は数少なくなったが、それでも路地を入ると処どころに古い町並みが残っている。例えば、千林2丁目に9軒が連なる長屋がある。昭和12年に建設されたが、当初は踊りの師匠さん、学校の先生、船場商人の息子などが入居しハイカラだったそうだ。現在も住宅として使用されているが、西端から2軒目は、昔ながらの雰囲気を残すたたずまいの喫茶カフェ-マーボロ。
(室井.2017.6)
写真上:淀川の洪水対策としてとられた「段蔵」方式の建物。
淀川流域などでは、洪水から家、家財等を守るために、敷地を盛土し、その上にさらに段状に嵩上げして建物を築造する対策が行われてきた。、洪水時の避難場所も兼ねている。淀川流域では「段蔵」「段倉造り」と呼ばれるが、他の地方では「水屋」(濃尾平野)、「水塚」(利根川流域、みつか)等と呼ばれる。
千林駅周辺の古い町並み。上段左端は9軒長屋。下段右端は京街道と野崎街道が交差するところ。
ぶらこうじカルテ No. R-011-3 名称: 千林界隈
場所:大阪市旭区千林方面
印象:今回のスタートは、城北公園。この時期にぴったりの菖蒲園を楽しむ。あやめ、しょうぶ、かきつばたと区別のつきにくい花種であるが、しょうぶは、水際のような半乾湿地に植生するらしい。空梅雨のせいか咲き誇った花弁のあでやかさに風情が欠けるのは否めない。この公園は淀川べりにあり、ここから左岸堤防を上流に向けて、市街地のほうへ歩き始める。この付近の淀川岸辺には人工と自然が織りなした生態系の豊かなワンドという珍しい風景が広がっている。京と大阪を結ぶ淀川と平行して、昔から京街道が開けてきた。街道筋の面影を感じながら、今市商店街を抜け千林商店街に向かう。この商店街は、ダイエー発祥の主婦の店ダイエーでおなじみであるが、今も人通りの絶えないにぎやかな活気あふれる商店街である。これまで、通り過ぎることの多かった街であるが、駅から一歩おりることで、地域の暮らしを支えている一こまを実感できた一日となった。 (吉田.2017.6)